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08. 森口豁・沖縄を見つめる映像の世界
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08. 森口豁・沖縄を見つめる映像の世界

申し込み価格(税込):
38,000


本土復帰から45年。高江や辺野古での米軍基地・施設の建設強行に見られるように、本土と沖縄の力の不均衡は今も続いています。東京で生まれ育った森口豁さんは、1959年、22歳のとき、カメラを手に那覇に移り住み、「本土の人に本当の沖縄を伝えたい」と、琉球新報の記者としての活動を始めました。その後、日本テレビの特派員となり、米軍支配下の沖縄の人びとの姿をドキュメンタリーで伝え続け、1990年に退社するまで、沖縄をテーマとした28本の作品を制作しました。水不足にあえぐ久高島、基地の街・コザの高校生の復帰への願い、ひめゆり部隊や住民虐殺の真相など、さまざまな立場の人の視線から沖縄の苦悩を伝え続けました。そして、80歳になる現在も沖縄と出会った頃の初志を忘れていません。
 ひとりのカメラマンが見つめた貴重な映像記録を、森口さんの熱き語りとともにたどります。

●2017年6月-11月 
●原則として水曜日 19:00-21:00 
●全10回/定員30名  
●受講料:38,000円




※初めて自由学校通年講座を受講される方は別途入学金10,000円が必要となります。
数量:

講師&コーディネーター


森口 豁(ジャーナリスト)

〈沖縄〉を知ることは〈日本〉を知ること─。これはこの60年、ずっと変わらぬ僕の信念です。カメラマンとして、ディレクターとして記録し続けた自作ドキュメンタリーをテキストに〈オキナワ〉を語り合いたい。

1937年東京生まれ。59年、玉川大学を中退し米軍政下の沖縄に移住。琉球新報記者や日本テレビ「特派員」として活躍。東京転勤後も沖縄に通い続け、ドキュメンタリー番組28本を製作。『ひめゆり戦史 いま問う国家と教育』などで第17回テレビ大賞優秀個人賞などを受賞。過疎と抗う鳩間島のルポ『子乞い─沖縄孤島の歳月』は連続テレビドラマ「瑠璃の島」にもなった。「沖縄を語る一人の会」代表。

◎主著:『だれも沖縄を知らない─27の島の物語』筑摩書房 2005/『子乞い─沖縄孤島の歳月』凱風社 2000


永田浩三(武蔵大学 教授/ジャーナリスト)

森口豁さんほど、沖縄にこだわり続けてきたドキュメンタリストはいません。本土復帰以前からの珠玉の作品を一堂に揃え、作り手としての思いを存分に語っていただく空前の企画です。この機会に、沖縄に強いてきたものは何かを改めて考えてみませんか。

1954年大阪生まれ。1977年NHK入社。ディレクターとして教養・ドキュメンタリー番組を担当。プロデューサーとして『クローズアップ現代』『NHKスペシャル』『ETV2001』等を制作。2009年から武蔵大学社会学部教授。「表現の不自由展」共同代表。映画『60万回のトライ』共同プロデューサー。

◎主著;『ヒロシマを伝える─詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち』WAVE出版 2016 /『奄美の奇跡』WAVE出版 2015

<6/14> 『乾いた沖縄』(1963年)

久高島の6月。人びとは水不足にあえいでいた。島にある4つの井戸のうち、ひとつは涸れ、3つは涸れる兆しを示していた。森口は女性たちの夜の水汲みを、他社の照明機材を借りて克明に記録した。牛山純一プロデューサーの指導のもと、森口が初めて沖縄を描いたドキュメンタリー作品。

<6/28>『沖縄の十八歳』(1966年)

コザ高校3年の内間安男は、沖縄玉砕を記念して行われる慰霊と平和の行進に参加した。高校生からは、復帰を喜ぶだけでなく疑問視する声があがっていた。そんななか山口衆議院議長が沖縄にやって来る。内間は沖縄の若者の苦悩を綴った直訴状を山口に手渡す。森口は直訴状のシーンで完全に実音をカットするという演出を選んだ。それはなぜだったのか。

<7/12>『一幕一場 沖縄人類館』(1978年)

明治12年大阪で、沖縄県人を見世物として陳列した「人類館事件」。内間安男らコザの劇団「創造」は事件をもとにして、「沖縄人類館」の芝居を上演した。番組は、事件とその後の沖縄戦、米軍政、本土復帰の時代に至る沖縄の悲劇をユーモアと自嘲を込めて浮かび上がらせる。

<7/22 (土)>『激突死』(1978年) 『俺の鉄工所と安保』(1980年)

沖縄の本土復帰の翌年、沖縄出身の青年が国会議事堂正門にオートバイで激突し即死した。上原安隆26歳である。上原はなぜ死んだのか。事故から5年経って、森口とフォーク歌手・海勢頭豊は上原への熱い思いを胸に、尋ね歩く。ほか1本。

<9/13>『ひめゆり戦史 いま問う国家と教育』(1979年)

ひめゆり学徒隊のなかで、「第3外科壕」を脱出し生き残ったのはわずか5人。森口はその全員を突き止め、彼女たちが体験した地獄を浮かび上がらせていく。彼女たちを死に追いやったものは何か。軍・県庁・学校の三者のどこに責任があるのか。森口は「教育者」に渾身の対決を試みる。

<9/27>『空白の戦史 沖縄住民虐殺35年』(1980年)

元日本兵の森杉多は、35年前の沖縄戦のさなか、住民を虐殺した現場を再び訪れた。殺された人の中に、スパイの容疑をかけられ、首を斬られ埋められた理容師の仲村渠仁王がいた。森は、台風のなか森林の奥深く入っていく。森の鎮魂の旅は、沖縄の人びとにとってどんな意味を持つのかを森口は厳しく問うのだった。

<10/11>『島分け 沖縄・鳩間島哀史』(1982年)

かつては800人いた鳩間島の人口は、度重なる台風や干ばつの結果、41人まで減っていた。西岡紫麻はただひとりの小学生。両親は紫麻の将来を案じて、向かいの西表島の学校に転校させようとする。離島が抱える教育や医療の苦悩。島を分断するようなしわ寄せが人びとを直撃していた。

<10/25>『海は哭いている サンゴの危機と市長選』 (1986年)

世界有数のサンゴに抱かれた美しい海が広がる石垣島・白保。この海に巨大な空港をつくる計画が持ち上がった。燃え上がる反対運動。
保守・革新・住民運動代表三つ巴の市長選を通して新石垣空港問題の本質を問う。

<11/8>『若きオキナワたちの軌跡』(1985年)

東京・狛江市に在京沖縄学生たちが暮らす「南燈寮」がある。ここを巣立っていった若者たちは戦後40年をどう生きたのか。古堅宗憲は復帰運動の組織を立ち上げ、野底武彦は琉球の独立を叫んだ。あえて信託統治を望む若者もいた。彼らは今何を見つめているのだろうか。

<11/18 (土)> 『昭和が終わった日 精神風景オキナワ』(1989年) 『生き埋めの冬 24年目のスモン患者』(1978年)

1989年1月7日、昭和天皇の訃報が流れた日、沖縄のカメラマン17人がその日を記録した。亀島重男は嘉手納基地のフェンスの向こうにカメラを向けた。宮里昇は沖縄戦の遺族と向き合い、石川真生は金武町のバー街で米兵やホステスを追った。この日、沖縄の昭和は終わったのだろうか。ほか1本。