●講師:樋口健二(フォトジャーナリスト/日本写真芸術専門学校 副校長)
キャパに触発されてカメラマンになった私は、いつも労働者や農民の側に立ち、闇に消される人たちを撮ってきました。初めから売れない写真家を目指したのではありません。国家や企業と闘うなかでそうなったのです。歳月を振り返り、時代を記録するとは何かについてお話します。
○プロフィール
1937年長野生まれ。62年東京綜合写真専門学校卒業。同校助手を経てフリー。69年に四日市公害を撮った「白い霧との闘い」写真展を開催。以降半世紀にわたり、公害、戦争の傷跡、原発被曝労働など、高度経済成長する日本社会の影をとらえた報道写真を発表し続け、国際的注目を集める。
○写真集:
『四日市―樋口健二写真集』六月社書房 1972/『原発崩壊1973年-2011年』合同出版 2011/『増補新版 樋口健二報道写真集成 日本列島1966-2012』こぶし書房 2012 ほか多数

●コーディネーター:永田浩三(武蔵大学 教授/ジャーナリスト)
写真の1枚1枚に、人生の深いひだや構造的な差別が貼り付いています。樋口さんには、その物語を熱く語っていただきます。わたしはこの春、樋口さんを主人公にしたドキュメンタリー『闇に消されてなるものか』を制作しました。映像だけに閉じ込めておくのはもったいなくて、この個性的な講座を幅広く参加いただけるオンライン形式で行います。
○プロフィール
1954年大阪生まれ。1977年NHK入社。ディレクターとして教養・ドキュメンタリー番組を担当。プロデューサーとして『クローズアップ現代』『NHKスペシャル』『ETV2001』等を制作。2009年から武蔵大学社会学部教授。編著書に『フェイクと憎悪』など。ドキュメンタリー映画『闇に消されてなるものか』を制作。
○主著:
『ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち』WAVE出版 2016 /『奄美の奇跡』WAVE出版 2015

6/21 わたしの写真事始め
八ヶ岳山麓、標高1000メートルのレタス農家から上京。川崎の製鉄所で働くようになった時、銀座での「ロバート・キャパ展」との出会いが運命を変えた。樋口さんの最初の写真集は公害とがっぷり向き合った「四日市」だった。
7/5 戦争の傷跡を見つめる
四日市喘息より、もっと症状が重い人がいる。それを聞いて訪ねた先は瀬戸内海の「大久野島」。アジア・太平洋戦争中、毒ガス兵器を作っていた。その後、樋口さんは戦争で心とからだに傷を負い、人生を奪われた元兵士たちを追った。
7/19 闇に消される原発被曝者(1)
敦賀原発での作業の後、右足に異変が起きた岩佐嘉寿幸さんは、日本で初めて企業や国を相手に訴訟を起こす。結果は全面棄却だった。樋口さんはまた、同じ敦賀の炉心部で働く人びとを、世界で初めて撮影し、世に知らせることに成功した。
8/30 闇に消される原発被曝者(2)
原発内で被曝し、死亡してもデータは改ざんされた。裁判は企業の手で潰された。
原発労働は差別そのもの。樋口さんは、筑豊炭鉱閉山後、福島第一で働き被曝、再び筑豊に帰郷した人たちも記録した。
9/13 壊されゆく日本列島(1)
夕張や三井三池で起きた炭鉱事故、油濁の海と化した瀬戸内海、じん肺、土呂久のヒ素鉱毒、日本の経済は、さまざまな産業を支える人たちを踏みつけながら発展した。そこで奪われ、失われたものは何だったのか。
9/27 壊されゆく日本列島(2)
千葉のダンプ街道は13年、諫早湾は16年、南アルプススーパー林道は4年間記録した。イタイイタイ病は対馬でも発生し、人びとを苦しめていた。世界遺産フィーバーの影で、屋久島や白神山地では環境破壊が進行していた。
10/18 JCO臨界事故と福島第一原発事故
樋口さんは臨界事故翌日に東海村に入る。事故現場から120メートルのところに住む大泉夫妻は、重症の皮膚炎などに見舞われ、裁判を起こすが敗訴。樋口さん自身も健康被害に見舞われる。2011年、ドクターストップを制して、原発事故後の福島へ向かった。
11/1 日本の風景・町並みを見つめる
樋口さんは四季折々さまざまな顔を見せる富士山を記録し続けてきた。日本地図に訪れたところを赤くマークしたら、いつの間にか真っ赤になった。いまや風前の灯の日本の町並みや山河。その最後の輝きを慈しむ、膨大な写真の数々。